登場人物

彼女……主人公のクラスメイト。


 ―――2014年。

 僕のいる街には、四季がない。
 いや、なくなったと言った方が正確かもしれない。
 20世紀末、巨大隕石が南極に衝突した大惨事によって地軸が傾き、赤道が近くなったのだ。
 それから現在に至るまで、世界になにがあったかは、この話にはあまり重要でないので、省いてもかまわないかな。
 とにかく、頭上から陽射しが照りつける、一年中暑い世界しか知らない十三歳の僕に、季節の移り変わりの素晴らしさを教えてくれたのは父だった。
 春の穏やかさ、秋の物悲しさをいつも話してくれた。
 だけど、今はその話を聞くこともできない。
 去年、仕事中の事故で父が死んでしまったから……。
 僕は、かつては桜が舞い、季節に彩りを添えたという春に合わせ、母親の実家があるここに引っ越してきた。
 そして、この街の中学校に入学した。

 新しい環境に対する適応力は、個人によって異なる。
 僕はその力が弱いらしく、入学して一週間経っても気軽に話せるような友達ができなかった。
 そんな僕と同じように、一人きりでいる女の子がいる。
 透き通る……とういより、病的に白い肌が特徴で、ショートカットの髪型は、寝癖がついているようにボサボサとしていた。
 だけど、非常に整った顔立ちをしているため、オシャレでそのヘアスタイルをしているように見えた。
 無口で、いきなり入学式にも来なかった彼女は、話しかけづらいと思われるような、皆に苦手だと思わせるポジションを自然と手に入れていた。
 仲間……。
 僕は、まだ一度も喋ったことのない彼女を、孤独でいる同士だと思うようになっていた。
 そんなある日、彼女と二人きりになる機会を得た。
「あ、あの」
「……なに?」
 振り返る彼女。
 僕はあまり考えなしに口を開いた。
「お互い仲のいい人がいないみたいだし、いっそのこと友達にならない?」
 今思うと、なにが『いっそのこと』なのか意味不明だけど、勝手に仲間意識を持っていたため、気軽に言葉が出ていた。
 彼女は軽くあごを上げて、僕を真正面から見つめた。
 瞼が重くやる気のなさそうな瞳。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……ごめんなさい。わたしは一人でいたいから」
「あ……」
 まさにとりつくしまもない返答だった。
 かくして、彼女は僕の仲間ではないことを知った。
 友達が出来なかったということと、友達を作らなかったということは、一人でいるということには変わりないけど、両者の間には果てしない溝がある。
 孤高の人。彼女は仲間どころか、橋のない川の向こう岸の人だったのだ。
 僕は自分の発言が急に恥ずかしくなった。
 トモダチニナラナイ――。
 昔の漫画のようなセリフを言ってしまったことと、それを断られたことに対して……。
 顔を真っ赤にしていたと思う。
「そ、そっか……」
「……ええ」
 搾り出した言葉に、彼女は表情も変えずに頷き、僕の前から去った。
 恥ずかしくて、顔の火照りがしばらく取れなかったのを覚えている。
 彼女との個人的会話はそれだけだ。
 その後、僕には友達と言えるような仲間ができたけど、彼女はあの時の宣言通り、いつも一人でいた。
 自ら話しかけるのを見たことさえもなかった。
 気がつくと、そんな彼女が好きになっていた。

 半年も経てば、適応力の低い僕でもクラスに馴染み始める。
 そんな頃のホームルームの時間だった。
 一週間後に行われる運動会の選手と運営委員を決め終わった後、先生は言った。
「それじゃ、二人三脚の相手は自分で誘って決めてください」
 ……は?
 僕は自分の耳を疑った。
 相手を決めるのは、くじ引きだと思っていたのに……先生は自分で探せって言った。
 僕達を、思春期を迎えていない子供だと思っているのか?
 それとも、恋愛のシミュレーションでもさせようとしているのか?
 真意はわからなかったけど、やっと男の友達ができたばかりの僕に、女の子の友達などいようはずはなく、すごく困った。
 何気なく、首を動かした。
 友達になるのを断られて以来、いつも目で追ってしまう彼女と視線が合った。
 彼女の眉はピクリと動き、すぐに顔を背けた。
 あれは……嫌がっている?
 はぁ……。
 きっと誘っても断られるよな……。
 僕は、友達になることは拒否されたけど、嫌われたんじゃなくて彼女は一人でいたかっただけだ、そう前向きに考えている。
 だから大好きな彼女を見つめていると、幸せな気分になれた。幸せな想像もできた。
 でも、二人三脚に誘って断られたら……いや、断られるに決まってるけど、実際に断られる言葉を聞いたら、彼女を見つめるのが辛くなる。楽しい想像なんてできなくなる。
 結局……。
 彼女を誘うことはできず、僕は委員長と組むことになった。
 むこうから誘ってくれたのだ。
 それは、一人残ってしまいそうな僕に対しての、学級委員である責任感からだったと思う。
「頑張りましょう」
 そう言ってくれた委員長には悪いけど、彼女のことが気になって仕方なかった。
 僕は彼女と脚を揃えて走りたかったから……。

 ―――2015年。

 僕は二年生になった。
 相変わらず彼女を見つめることしかできなかったけど、それでいいと思うようになっていた。
 そんな僕のクラスに、転校生がやってきた。
 それはパッとしない男子だった。
 少し彼女に似ている。そう思った。
 しばらくして、その転校生は彼女と親しくなっていた。
 僕は驚いた。
 彼女が自分から話しかけるのを初めて見たから。
 あの彼女がなんで……。
 わけがわからない。学校でキッカケがあったようには見えなかった。
 二人は同じ塾にでも行っているのだろうか?
 校外でなにかあったのは確かなのかもしれない。
 僕の心臓の辺りは、チクチクと傷んだ。
 それは、彼女が誰とも仲良くしないから気づかずにいた感情――嫉妬だった。
 僕は、穏やかに彼女を見つめることができなくなった。
 そんな風に苦しい思い抱えたままの毎日が続いた。
 でも、彼女を見つめて苦しむ日々はそんなに長く続かなかった。
 彼女は学校に来なくなったから……。
 ところが、同時に転校生も来なくなっていた。
 そのことは、僕の心を苛んだ。
 カケオチ……。
 愚かな妄想だとわかっていても、嫉妬の感情を抑えることができなかった。
 彼女を見ると苦しくなったのに、それからはいつも苦しくなってしまった。
 二度と会えないかもしれない。
 不安……恋慕……。
 心が落ち着かなくなった。
 そんな頃だ。
 なんの前触れもなく、それが起こったのは……。
 震度7の強震だった。建物は倒れ、火災が広がった。
 一人で家にいた僕は、勧告にしたがって避難シェルターに向かった。
 その途中、世紀末の天変地異が再び起こるその前触れだと、大人たちが口々に言うのを聞いた。
 慌てていたのだろう、僕は道に迷ってしまった。
 あれ……?
 誰もいない裏通りの路地で、僕は足を止めた。
 驚き混じりで目を擦る。
 僕は久しぶりの姿を見つけた。
 ボサボサの髪の毛を風に揺らせ、地震で倒れた建物の瓦礫の上に立っていた。
 僕の心臓は高鳴った。
「……や、やあ」
 なんでこんな所に?と思ったけど、僕はまず挨拶をした。
 でも、彼女はなにも答えない。
「あの……」
 不意に僕の頭の中に言葉が浮かんできた。
 ―――わたしと一つにならない?
 それは、彼女の言葉だとわかった。
 なぜだかわからないけど、わかったのだ。
 僕はだだ頷いていた。
 ……なんだろう、目の錯覚だろうか?
 頷いた途端、彼女がたくさんいるように見えた。
 その大勢の彼女の手が、僕の体に触れ、その部分から溶け始めた。

 温かかった――。
 僕は独りじゃない世界に向かおうとしている。
 一つになると彼女は言った。
 僕が僕だけじゃなくなる。意識が蕩けあう。
 真ん中の足が一つになって転ぶことのない二人三脚。きっとそんな世界だろう。
 それが僕の望む世界なのだろうか?
 消えかかる意識が答えた。
 確かに不安はなくなっていくけど……これは違う。
 僕の視覚に彼女は映らなかった。頭の中に思い描くことはできるけど、見つめることができなかった。
『わたしは一人でいたいから』
 そう言って、いつも一人でいた彼女。
 彼女を見つめるためには、僕も一人にならなければならない。
 だから、彼女と一つにはなれない。
 僕の理想は、普通の二人三脚のように、肩を組み、太腿をこすりながら走ること。転ぶ可能性のある世界だ。
 もう一度、彼女を見つめたい。
 僕はそう祈った。
 ―――それでいいの?
 どこからか声が聞こえる。
 ―――その世界は、わたしがあなたを傷つけるかもしれない。
 傷つけられるのは怖い。でも、彼女を見つめられない方がもっと嫌だった。
『かまわない』
 強く思った。
 瞬間、温かかった体が急に冷たくなり、ぼやけていた意識が収束し始めた。
 お湯がさめて、更に冷えて氷になるイメージ。
 意識がはっきりしてくる。
 これは……白昼夢?
 どれぐらいの時間が経ったのだろうか?
 長かったようにも一瞬だったようにも感じる。
 気がつくと、僕の目の前には彼女の姿があった。
 何事もなかったかのように瓦礫の上に立っていた。
「あの……」
「……なに?」
 誰もいない裏通り。
 僕は、震災で逃げていることを思い出した。
「そ、そうだ。僕と一緒に避難シェルターに行かないか?」
 彼女はやる気のなさそうな目で僕を見た。
「……ごめんなさい。わたしは一人でいたいから」
 彼女は淡々と答えた。
「そっか……」
「ええ……」
 しばしの沈黙。
 僕はまだ、ここから立ち去れなかった。次の言葉を探した。
 傷ついてもかまわない。一つになる……あの世界に逃げ込むのはいやだった。
 口が自然と動いた。
「僕……」
 唾を飲み込んだ。
「綾波さんのこと好きだ」
 思いを受けた彼女は、眉一つ動かさなかった。
 もしかしたら、予想していたのかもしれない。
 彼女は、少しだけすまなそうに口を開いた。
「……ごめんなさい」
「そ、そうか……」
 胸がズキンとした。
 だけど……。
 これが僕の望んだ世界そのもの。
 想いは届かなくても、傷ついても、彼女こと見つめることができる世界なのだから。
 だから、僕は笑う。
「……なぜ笑うの?」
 それは、彼女から初めての問いかけだった。
「きっとフラれると思ったからだよ」
 僕は笑っていた。
「あ、そうだ……」。
 ――今年の運動会の二人三脚、一緒にやらない?
 僕は次にそれを聞こうと思った。


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